伝建・町家
伝統的建築物・町並みの保存と防災
日本は近世までそのほとんどが木造の町並みでした。しかし、現在その多くは失われてしまいました。その理由の1つは火災に対する
脆弱性です。歴史的にも数多くの大火が記録に残っています。長屋が密集した江戸では、江戸時代の約300年の間に、記録に残る火事が873回、
延焼2㎞以上の大火が110回も起こりました。明暦の大火後、幕府は道幅を広くしたり火除地をつくるなどの対策を命じたものの、江戸っ子は
「宵越しの金は持たぬ」と言われるように、燃えることを前提として粗末な家が建てられ、建物の防火性の改善は進みませんでした。このため
関東大震災や戦火では甚大な被害が出てしまいました。
明治の近代化、戦火による消失、その後の不燃化によって、日本の伝統的な木造建築の町並みの多くが失われました。コンクリートの
近代建築が建ち並ぶ画一的な戦後日本の都市景観は、木造建築の火災への脆弱性に加え、自国の文化・伝統の価値の軽視によって
生み出されたのではないでしょうか。
そのような町並み破壊の流れに危機を感じた住民によって、各地で保存活動が見られるようになり、昭和50年(1975)の文化財保護法の
改正によって「伝統的建造物群保存地区制度」が制定されました。保存地区では、文化財の保護と木造建築の火災危険性の改善のため、
保存事業の一環として防災事業が行われました。また近年では独自の防災計画を策定する地区も増えています。
日本の社会が成熟するにつれて、自国の歴史や伝統に価値があると感じる人が多くなり、歴史的な町並みは観光客を集めるようになりました。
それにともない、選定された保存地区に限らず、各地で古い町並みを保存・再生しようという動きが見られます。
京町家の歴史と現状
財団法人京都景観・まちづくりセンターが平成9年~10年に実施した調査によると、京都市内中心部にはいまだに27,000軒以上の町家が
残っています。しかし毎年1,000軒近くの町家が失われていると言われます。それを防ぐため、京町家再生研究会をはじめとする市民グループによる
保存・再生運動が行われてきました。数年前から町家への注目度が高まり、カフェやレストラン等の店舗への用途変更の例も数多く見られるように
なりました。
全国的に見て、京都は戦前住宅の割合が高いわりに出火率が低い傾向を示しています。一般的に町家は出火に対して危険であると認識されて
いましたが、出火件数と町家数の相関関係はほとんど見えてきませんでした。逆に若干ではありますが、町家戸数の少ない地域ほど出火件数が
多くなっています。出火原因からみても京都は、外的要因である「放火」に比べ、内的要因である「こんろ」「たばこ」が少ない傾向があり、
京都のコミュニティのルール、生活作法としての防災が根付いていると言われます。
(参考・引用文献:米江佐希子卒業論文)
京町家が失われた理由
記録に残っている京都の大火は宝永の大火(1708年、14,000軒消失)、天明の大火(1788年、39,720軒消失)、
元治の大火(1864年、27,500軒消失)です。幕末の禁門の変に単を発した1964年の元治の大火(どんどん焼け)や鳥羽伏見の戦い(1868年)で
その大半を焼失したと言われており、現存する京町家の多くは、江戸時代のものです。大火や大地震・戦火にも京町家は型を変えることなく
再生されました。京都における防火の考え方とは、建物の表向きには他の町に見られるような大層な防火処置を施さず、町内の厳しい定めや
消防体制などによる対処を重んじたと言われています。
多くの町家が失われた理由は、昭和25年の建築基準法の制定によって、伝統構法の町家が「既存不適格建築物」とされたことです。
そして、都市防災上も、京都市は火災の被害拡大を防ぐため、商業施設の密集エリアを「防火地域」、木造建築物が集まるエリアを
「準防火地域」に指定し、町家の新築・改修を行う場合には、モルタル塗りやアルミサッシ等の全国一律の防火構造が求められました。
そのため町家は取り壊されるか、古い構造体の補修が行われないまま、改装が繰り返されるかでした
平成12年の建築基準法改正により、特定の材料・寸法などを規定する従来の"仕様規定"から、一定の性能を満たせば多様な
材料・設備・構造方法を採用できる"性能規定"への移行が図られ、建物の耐火・防火構造に関する規制も大きく変わることとなりました。
京都市は平成14年、歴史的な町並みを保全するため、京町家の新築や改修の障壁となっている防火規制を緩和する制度を創設しました。
建築内部の不燃化を図るなど建築的な防火対策と、地域の自主的な防災活動が定着していることの2つを条件に、新築・建替えを問わず、
防火地域などの指定解除を行いました。その実例として祇園南側地区が挙げられます。
さらに、伝統木造土壁や木現し軒裏などの防火性能の検証と改良についての研究が安井、長谷見ら(早稲田大学)によって進められ、
平成16年7月の建築基準法の改正告示によって防火・準耐火構造として定められました。
(参考・引用文献:日本火災学会誌 火災266 「伝統建築物の防火対策の必要性」田中哮義、「京都における町並み景観の保存に関する新制度「京都市伝統的景観保存に係る防火上の措置に関する条例」について」溝上省二、「京都における町家の防火と景観の再生」大谷孝彦)
近年の町家ブームと改修・改築
近年では町家ブームと言われる状態が続いています。改装・改修された町家カフェやレストランはそう珍しいものではなくなり、
最近では町家の片泊まりが注目されるなど、町家人気は一過性のブームを越えて定着したと言えます。
この現状のなかで問題となるのは、景観保全や伝統の継承を優先しすぎることや、安易な町家の改修は、安全面での配慮を欠いた危険な町、
建物を作りかねないということです。もともと町家は、住まいと仕事の場の複合空間としてそれに適応した造りになっています。用途が変われば、
求められる空間や機能も変わります。見た目だけの無理やりな用途変更は、町家に備わっていた防災性を損なうことになりかねません。
上述したように、京都における防災の考え方はコミュニティ・ルールや生活作法を重視したものであり、町家の空間やその構法・技術にも防災を
含めた暮らし方の様々な知恵が隠されています。景観だけでなく、暮らし方・住まい方を残していくことが本当の意味での伝統の継承に
なるのではないでしょうか。
(参考・引用文献:辻内源太郎修士論文)
防災対策をその手法で分けると、ハード・ソフト・設備の3つに分けられます。ハードは建物の防火性能の向上であり、時間とお金のかかる
対策です。特に老朽化した建物の整備は優先的に行う必要があります。ソフトとは、住人やコミュニティによる管理体制や地域消防力などのことを
言います。京都や伝建地区などの古い町にはこのコミュニティが息づいていると言われます。淡路・阪神大震災の時も近隣住民の協力によって延焼が
防がれた例もあり、近年の防災で重要視されている部分です。設備とは、消火設備を中心とした整備のことです。木造建築物の多い伝建地区では、
この設備整備に力を入れており、高山伝建地区などでは可搬ポンプや2号消火栓などの住民の使いやすい消火設備が設置されています。
伝建地区では、時間とお金のかかるハード対策を長期的に、ソフト対策と設備整備の直ちに実行可能なものを短期的計画として防災計画を
たてることが多く、3つ全てを合わせた総合的な対策が必要であるとしています。これはなにも伝建地区に限ったことではなく、防災活動を
行っている自治体・地域でも同様です。南海・東南海地震の危険性や最近頻繁な各地の地震・豪雨災害により、人々の防災意識は高まっています。
しかし、ソフトや設備は人的要素が関わってくるため、ハードの成果と同様に扱うのが難しく、その目標や成果が明確でありません。
こうしたことから伝統的な防災の知恵を生かした、総合的な防災対策のあり方とその効果を探ることを目的としています。
伝統的な木造の町並みは火災の危険性が高く、当研究室では以下に示すように伝建地区の防火対策についての研究がなされてきました。
木造の町並みは決して火災に強いとは言えませんが、数多くの火災の経験から得た防災の知恵が数多く存在します。例えば、背割り部分に蔵を
並べて配置したり、火除け地を設けたり、通りに流れる水路などがあげられます。そのような地域の特性を生かした防災についての研究も
行われてきました。
■過去の研究
- 重要伝統的建造物群保存地区の防災計画策定手法に関する研究(油野麻由美,2003年度卒論)
- まちづくりにおける防災ランゲージの可能性について -歴史的町並みを題材として- (安野陽子,1999年度修論)
- 重要伝統的建造物郡保存地区における避難危険性についての研究(安野陽子,1997年度卒論)
- 歴史的町並みにおける建築基準法の緩和に関する研究(小松かおり,1995年度卒論)
- 伝建地区における防火対策についての研究(美馬本昭二,1994年度卒論)
- 伝統的町並みにおける防火技法に関する研究(遠坂佐保子,1992年度卒論)
■伝建地区の防災計画
◇高山市三町の例
- 自衛防災組織
防災訓練は定期的に行われている。女性も含め、住民全体が参加した訓練となっている。早朝訓練では、午前六時にサイレンが鳴り、
住民はそれに動じることなく黙々と慣れた手つきで消火作業を行う。また他には自火報の点検も行われている。
- グループ監視自動火災警報器システム
自動火災警報器のグループ監視システムは、高山三町防災計画の大きな特徴と言える。ほぼ全戸に自火報が設置されている。
自動火災警報器(以下自火報)の設置において問題となるのは、非火災報である。高山で最初に取り付けられた自火報においても、
非火災報時に警報器の停止の仕方が困難であるという問題が出た。非火報時に簡単に止められるように開発され、とりかえられた。また機器に
専門用語が使われないようにしたり、警報ベルからサイレンに替える等という配慮もなされた。
各住戸には煙感知器と熱感知器の両方がついており、確実性の高い熱感知器は感知されるとすぐにグループ内に報知される。対して、
早期発見を目的とした煙感知器は、熱感知器に比べ確実性が低く、非火災報の発生率が高い。その対処法として煙感知器は、まず火災感知した
住戸内のみで報知され、居住者が確認して手動で停止またはグループ内への報知が行われる。2分以上経っても確認作業がされない場合には、
自動的にグループ内へ報知される。
煙感知器の報知システム
自火報のグループは通りの隣列6軒程度で構成されている。向かいの家にも延焼の危険性があるが、向かいから警報器の音が直接
聞こえるため、グループ化しなくても報知することができる。このグループが防災計画でいうところの防災ブロックとなっている。防災計画では
防災ブロックごとに土蔵の防火帯を形成する検討もされていたが、それは実現できなかった。
非火報は時折発生するが、警報を停止させる作業は報知器の使い方を思い出すよい機会ともなる。停電時に関しては、内臓電池が
2時間もつとされている。
観光化された高山では、店舗としての利用のみで夜間無人になる町家も多い。両隣が夜間無人になる住宅にとって、グループ自火報の
システムは安心感をもたらす。ただし、無人宅からの報知に対しては、梯子で降りて確認するしかない。
- 防災ブロックについて
昔は、土蔵と土蔵の間に1間ほどの通り道が設けられていた。土蔵は延焼防止に加え、避難路としても重要な働きをもっていたのである。
しかし、住居の建て増し等でその隙間は失われてしまった。さらに昔とは違い、プライバシーの問題からそう簡単に隣地へ入るわけには
いかない。よって、2方向避難の実現が難しい状態にある。町としては土蔵修理時等の機会に、その隙間を地道に復活させていく方針である。
- 防火塗料について
高山では2軒の例がある。一軒は軒裏に防火塗料を施していて、色などがよくなじんでいる。しかし、もう一軒の側壁の板に塗った
建物では、骨材が浮かび、白っぽくなってしまった。まだまだ、試作段階である。
- 防災拠点について
防災計画では強調されていたわけではないが、防災拠点の整備がしっかりされている。 市政記念館を防災拠点と位置づけて、66tの貯水槽、
エンジンだと騒音がひどいためディーゼルポンプに加えて、200Vの電動ポンプが設置されている。発電機が設置されており、地震の停電時にも
対応できる。上水道の分断時にも井戸から貯水槽へ水を引くことができる。また、水路の水のみを使用した放水訓練も行われている。住民からの
要望で、電動ポンプは、市政がしまっているときも横側から入れるようになっている。
- 消防設備について
屋台蔵など、各所に防災倉庫が設けられ防火備品が配備されている。また、消火栓も50mm消火栓と2号消火栓を20m以内ごとに配置
されている。消火栓や可搬ポンプ等の口径は消防署用の65mmではなく、住民が使いやすいように50mmを基本としている。2号消火栓は、
従来のものでは使いづらいという住民の要望により、ホテル用のものを導入し、個人宅の敷地内に設置されている。またホース格納庫には
当初20mホースが2本格納されていたが、それでは足りないという意見により、3~4本に増やされた。このように整備された防災器具は、
自衛消防隊が主に使用できるようになっている。
道路の両側を流れる側溝は、災害時の防火用水として利用できるような防災設備の配置を行っている。水のせき止め用の側溝止めも消防団を
参考にパイプ製のものが導入されている。その他にもホースを運ぶためのホース籠や、エンジンとポンプに台車のみの小さな可搬ポンプ等も
整備された。消火訓練を行いながら、その都度足りないものを付け足していくというやり方である。このような消防設備の充実は自衛消防隊の
活動が活発である要因の一つに挙げられる。
高山三町の町並み 恵比須台の屋台蔵
屋台蔵の消火栓とホース格納庫 市政記念館
市政記念館発電機 発電機住民入り口
(油野麻由美卒業論文より引用)
京町家は伝建地区のように連なっておらず、点在するところも多く、さらに数も多いため、保存・再生するためには、建物単体の防災性能を
向上させる必要がありました。また、京町家にも意匠や暮らし方に防災の知恵がたくさん存在します。
■過去の研究
- 目標達成ツリーによる伝統的町家の防火性能評価に関する研究(油野麻由美,2005年度修論)
- 伝統的町家の防火性能評価法の開発と防火改修方策の効果に関する研究(辻内源太郎,2002年度修論)
- 伝統的市街地の町家における出火・延焼特性に関する研究(米江佐希子,2002年度卒業論文)
- 京町家改修事例における耐震性能に関する研究-耐震性能簡易判定手法と構造改修指針について-(米谷朋恵,2001年度修論)
■町家の伝統的な防災の仕組み
- 虫籠窓(むしこまど)
明治期までの古い町家の多くは2階部分が低く、その2階の表構えに設けられた窓が虫籠窓である。堅格子が土で塗りこめられている。
名の由来は、それが虫籠のように見えることから呼ばれた説と、酒屋、麹屋が米を蒸すのに使用した「蒸子」に似ているからむしこと
呼ばれたという説がある。採光や通風のための換気口として、もともとは細い連子格子がはめられていたのが、防火のかたに堅子に縄を巻きつけて
塗り込めにするようになった。これが現在の虫籠窓で、2階の外壁を塗り込めることによって、町家の有効な延焼防止策となっている。
- 火袋
火袋は通り庭の上で、屋根裏まで吹き抜けになった空間である。主に台所の排気機能を担う。採光、換気のための天窓や高窓が配されている。
- 卯建(うだつ)
"うだつがあがる""あがらない"と日常会話でよく耳にする言い回しがあるが、語源は卯建のことである。家と家の1階の屋根の境目のあたりに
一段飛び出した形で設けられる。これは境界を明確にするとともに、火災の折の類焼防止の役目や煙出しからの火の粉を防ぐ防護壁の役目を
していた。装飾的な意味合いも強い。
- 煙出し
屋根の上に突き出したもう一つの小屋根を煙出しという。台所などの煙を外に出すためにある。煙出しがなく、天窓だけがある
町家の方が今は多い。
- 蔵
母屋とお庭から奥に入った場所に蔵がある。全体が土壁でできているので、延焼防止になる。川越や高山三町の蔵の並びが有名。
(参考・引用文献:米江佐希子卒業論文)
■京町家調査
◇調査概要
◇調査結果
●飲食店
- 敷地周辺調査
□前面道路
・6m
・路上駐車多少あり
□経路
・前面と隣マンションに通じる木戸の2ヶ所あり
□地域の施設
・消火バケツあり
軒裏 ブロック塀と隣地へつながる木戸
- 外観調査
|
側面外壁(左側) |
側面外壁(右側) |
隣棟間隔 |
0mm |
駐車場 |
外壁仕上げ |
トタン |
焼板・トタン |
開口 |
なし |
あり |
前面外壁 |
1階 |
2階 |
外壁仕上げ |
石材 |
漆喰 |
開口形式 |
格子つきガラス窓 |
はめ殺し |
外壁の後退 |
500mm |
|
その他、うだつ |
のれん |
|
屋根 |
1階 |
2階 |
軒・庇高さ |
2500mm |
|
軒・庇深さ |
400mm |
|
軒裏構造 |
木現し |
木現し |
面戸・形式 |
木板・隙間なし |
木板・隙間なし |
- 敷地内部調査
□敷地境界構造物
・側面にはコンクリートの塀があり、両隣はRC造の建物が建っている
・裏には蔵がある
□アクセス経路
・左奥に木戸があり、前からと合わせて2方向が確保されている
□敷地内空地
・中庭は整理されている
□防火設備
・消火器が各所に配置されている
・火災報知器がある
□蔵、その他の構造物
・敷地奥に漆喰壁の土蔵がある
□火源
・厨房で主に火を扱う
□火源周辺
・厨房部分は防火構造となっている
厨房上部の吹き抜け空間 各所に配置されている消火器
- ヒアリング調査
□在宅時間・生活時間
・主人は24時間在宅
・従業員の勤務時間は9:00~23:00、ただし、セカンドハウスは6:30~24:00
□生活習慣、生活ルール
・終了後の元栓のチェック
・全席禁煙
□コミュニティ
・年一回の消防点検
□出火の危険性、火災情報の伝達等
・火災報知器が客席上部やキッチンなど多数あり、セカンドハウスとも連動
・配線は新しい
・ゴミの放置はない
□避難ルート
・前面と隣マンション敷地への裏木戸の2箇所から敷地外部へ避難可能
・階段は2つあり、2階からの2方向避難が確保されている
・2階はいざというときは屋根伝いに避難可能
- 考察
厨房は防火構造となっており、出火防止性能が高い。さらに、厨房上部は吹き抜けの空間とつながっており、熱を逃がす機能がある。
消火器も各所に備えられており、初期消火のための道具は十分ある。また、敷地周りには塀は土蔵があり、延焼時の遮蔽要素として評価できる。
避難については、表側に加えて隣マンションへの木戸が使用可能。2階も階段が2つあり、全体として2方向避難が確保されていると言える。
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