9年目(8周年)の1月17日を迎えました。
次の大地震が切迫する状況での1月17日です。
2度と無数の尊い命を犠牲にしてはならない、と気持ちを新たにする日です。
心静かに5時46分を迎えようと思います。お祭り騒ぎを戒めつつ・・。
新年あけましておめでとうございます。
日頃からの「震災犠牲者聞き語り調査」へのご協力感謝致します。
さて震災8年を迎えます。にもかかわらず「犠牲者調査」は、300人ちょっとのところで足踏みです。私たちの努力不足を痛感しています。このままでは、とても6千人は無理です。といって、いまさら匙をなげるわけには行きません。一人一人つくられた記録(冊子)は、極めて貴重なもので大切な教訓や被災の思いが詰め込まれています。それだけに、ひとりでも多くの人々の記録の採集を、力ある限り続けたい、続けなければならない、と思います。といって、現実にある大きな壁(被災者の遺族がみつからない、みつかっても協力が得られないという壁)はとても大きく、このままでは無惨かつ無責任な結果になってしまいます。始めからわかっていたことですが、ちっぽけな私たちの研究室だけでは、とてもできるはずのない膨大な作業だったと、思いますこの歴史的な作業を独り占めする意図など、さらさらなかったのですが、結果的には、私たちの研究室が一人請け負う形になってしまいました。記録をのこす取り組みを、大きな国民的な運動あるいは被災地の運動として提起し得なかった「誤り」をわびなければなりません。ということで、いまさらということですが、一人でも多くの人々が身近におられる犠牲者の記録をどんな形でもいいので、残す取り組みをしていただけませんでしょうか。千人の人々が一人ずつ記録をつくるだけで千人の記録ができます。その記録を無理やり私どもの手元にあつめようとはおもいません。ともかち犠牲者の思いや無念さ、遺族の悲しみを記録にのこすことが、これからの防災につながるということで、ご協力をお願いします。
なお、印刷その他の経費が必要でしたら、私どもの研究室で可能な限り支援させていただきます。一人でも多くの記録を後世に残すために、是非ともお願い致します。
またいままで記録されたもので遺族の了解が得られたものは、「人と防災未来センター」の閲覧室でご覧になれます。震災というものを理解するために是非ともご一読下さい。
>むろさきさん
丁寧なお返事、有り難うございます。
>「現在のたてものはむしろたてものを柔らかくして地震被害を軽減しようとしてつくられています。それを中途半端に金具で固めるとむしろ地震に弱くなってしまいます。」
この様な事は考えてもいませんでした。
私の父は筋交いを入れる、柱を増やすと言っていましたが、やはり専門家の意見を伺った方がよさそうです。
(私は、美観を損なうという理由で反対した事があります。ちなみに、父は東京で、事務所に相当する民家には人が住んでいません。)
同様な家も市内にあると思いますので、貴重なご意見、本当に有り難うございました。
都築さん
東海地震による被害軽減のためのご活動に敬意を払います。さてご質問の件ですが、木造住宅については多様性があり、一概にいうことはできません。住宅のメンテナンスの程度や地盤その他が大きく効いてきますので、現物を建築の専門家に見ていただくことをお勧めします。とくに、お尋ねの住宅は、いわゆる「伝統構法」でつくられていると思います。この伝統構法は現在の住宅の耐震基準の発想とは全く違った思想(柔構造)によりつくられており、現在の耐震性を筋交いや接合金物で確保する発想ではつくられていません。従って、現行の基準による耐震診断をすると、壁が少ない構造(田の字型プラン)なので、「危険」と診断されてしまいます。実際は、梁などの接合分で力を抜く様式になっていて、建物によっては意外に地震に強い場合があります。三河地震でひがいを免れたというのは、伝統的な構法による耐震設計が、そこそこうまくいっているからだ、といえます。がしかし、この耐震設計法は「漢方医学」みたいなもので、近代科学によって検証するには、なかなか難しく、計算で直ぐにこれは大丈夫だとはいえない状況にあります。だから、次の東海地震で倒れない保障にはなりません。三河地震と東海地震とでは地震の揺れも違いますし、それに加えて老朽化の問題もあります。ところで、金物で補強するには?というお尋ねですが、現在のたてものはむしろたてものを柔らかくして地震被害を軽減しようとしてつくられています。それを中途半端に金具で固めるとむしろ地震に弱くなってしまいます。近代的な基準でいくか、伝統的な発想でいくかの見定めをして、近代的な基準でいくならば、壁を増やす、金具で固定するなどを対応を徹底的にすることです。なお、平屋は一般的には2階建てよりは安全ですが、平屋だから倒れないともいえません。いずれにしても、専門家のご判断を仰がれることをお勧めします。耐震診断については、財政面も含めて行政が援助してくれるはずです。
阪神大震災の事例ですが、伝統構法の平屋で倒壊したもの、しなかったもの半々です。淡路島などにいくつかそうした事例がありました。ただ、わたしたちの研究室では、その詳しい図面等のデータはありません。
ネット上のワンこと都築一郎です。
「地震ネットワーク安城」という掲示板を始めたところです。
http://8205.teacup.com/ichirou/bbs
私は、愛知県安城市に住んでいますが、事務所は、安城市の北部にある知立市の保険代理店事務所を使おうと考えています。
昭和20年1月の三河地震(直下型地震)では、三河地方を中心に、死者2306人・家屋全半壊23776軒・非住家全壊9187件もの被害を出しました。
東海地震は、私は3年半以内に来ると予想していますが、三河地震の様な直下型地震の対応には、頭が痛い状態です。
私の住んでいる安城市では、三河地震による死者は685名であり(三河地震の頃の安城市に相当する地域は、今の人口の4分の1程度であり、今の人口は16万5千人)、住宅の全壊が1,669戸、半壊が2,478戸との事でした。
安城市の震度は6であったと思いますが、安城市の南にある西尾市は震度7であり(死者約700人)、安城市南部の被害が甚大でした。
お恥ずかしい事ですが、最近まで、私はこの様な事実を知らず、最近になって防災に対する様々な提言を、行政・政治家・町内会・個人にしようと考えています。
必要な防災マニュアルも、「市民・防災・葛飾」HPの管理者の方から使用を許可して頂き(A4原稿で75枚以上になります)、これから町内会・避難所となる学校等を訪問する予定です。
前置きが長くなりましたが、事務所の建物が地震に耐えられるかという問題があります。
事務所の建物は、築79年の民家を使用しており、昭和19年12月の東南海地震、三河地震にも耐えた建物で、地盤は良好と思います。
5間X8間の約40坪の建物で、大黒柱が約17センチで、松材を使った、昔からよくあるタイプの田の字型の瓦葺き平屋(筋交い・耐震用金具はなし)であり、程度としては良好な状態ですが、ネットの耐震診断では、危険な建物となっています。
阪神淡路大震災でも、同様な平屋はあったと思いますが、この様な建物の全壊・半壊例があったら、よろしければ教えて下さい。
それから、耐震用金具についても、具体的な金具、自分で取り付けする場合の方法・注意点があれば、参考にさせて頂きたく思います。
教えてくださってありがとうございます!
これを、冬休みの調べ学習で生かして行きたいと思います!
阪神・淡路大震災後の街の状況について
1)直後から1週間ほど
無数の住宅(約40万棟)が壊れ、地震による火事が沢山発生しました。その火事でも多くの住宅(約7千棟)が失われました。さながら焦土(戦争の後のような姿)でした。これについては、震災の写真集がでているので図書館などでしらべてみるのがいいでしょう。家を失った人々は学校などの避難所で寒さにふるえながら、しばらく暮らすことになります。この避難生活の長引いた人は半年以上も避難所で暮らすことになります。
2)1週間から数カ月
ガス、水道そして鉄道が1カ月から数カ月もストップしました。食事をつくることも、風呂に入ることも困難になったため、避難所で暮らす
人もありましたが、他の地域へ一時的に引っ越す人が沢山でました。大阪や岡山など他地域の小学校へ転校した子供たちもいました。それで、しばらくはゴーストタウン(人気のないさびれた街)のようになってしまいました。
3)数カ月から1~2年
ガスや電気が回復し、電車が走るようになると、大阪などに引っ越していた人々がすこしもどってきました。その一方で、家を失った人々は郊外に建設された仮設住宅(仮住まいのためのプレハブ住宅)に引っ越したため、被災した街の人口は元に戻りませんでした。しかし、壊れた建物の修理や道路などの復旧工事で街はごった返します。住宅もこの時期になると、とんどん建ちはじめます。
4)2年から数年
区画整理などが進んで、化粧直しをしたように街はきれいになりはじめます。しかし、それは表通りだけで、すこし裏道に入ると、空き地がまだ沢山ありました。5年目くらいには、復興住宅という公営の団地が沢山できました。そこに仮設にいっていた人が戻ってきて、人口も8割程度に回復しました。しかし、昔住んでいた同じ場所に戻ってこれたのは、約5~6割程度の人で、別の場所に移り住んだ人もすくなくありません。
→以上は概要です。被害は大阪府でも京都府でも奈良県でも、兵庫県ほどではないのですが、ありました。もっもとくわしいことを勉強しようとおもったら、神戸市に建設された「人と防災未来センター」(JRの灘駅下車)にいってみて下さい。震災のことがよくわかります。
ただいま私の学校は冬休みです。
その間に阪神・淡路大震災について調べています。
そこで、阪神・淡路大震災について教えていただきたいです。
阪神・淡路大震災があった直後、街はどうなったのですか?
あと、他の県にも被害はありましたか?
冬休みは1月8日までなので、
それまでに教えていただければ幸いです。
>久世小学校の松本さん
地震のどのような事についてお調べでしょうか?阪神・淡路大震災については下記のもので調べる事も出来ます。
http://home.kobe-u.com/top/newsnet/sinsai/book/siryou.htm
こんにちわ!
私は久世小学校の松本です。今、理科で地震のことについて調べています!出来たら詳しく教えてください!
>小学生さん
返事が遅くなってしまってごめんなさい。亡くなった方の数では神戸市東灘区(1471人)が一番多いです。建物の被害で火災によるものは、神戸市長田区が一番ひどかったです。いずれにしても、この地震で兵庫県南部の地域は大変な被害を受けました。
小学生さん>兵庫県南部です
このとき地面にはどんな変化があったのですか?
いま理科で地層について調べています。出来ればすぐ答えてください!
阪神・淡路大震災は、とくにどこがひどかったんですか??
私の父は教師在職中、外国からの留学生の世話をしておりました。
これはその頃韓国からの留学生を自宅に招いて食事をした時の事です。
父は地質学をやっておりましたので火山や地震の話が話題にのぼりました。
その人は日本の地震の多さを話では聞いていたものの実際に体験して
驚いたそうです。
(向こうでももちろん地震はおこりますが、日本の様に頻繁ではないのだそうです)
最近の大きな地震災害として阪神大震災の事が話にあがった時、なぜか
その留学生は居心地が悪そうでした。
私はてっきり犠牲者の中にその人の親類や知人でもいて思い出すのが
つらいのではと思い、いやな事を思い出させてしまったなら
済みませんと話しました。
するとその人はそれを否定して自分の心境を話し出してくれました。
あの震災が起こった後、韓国では新聞の号外が発行されその号外には
「日本人に天罰が下った!」と言うような事が書かれていたそうです。
そしてその号外を「良い知らせです!」と嬉しそうに配っているのを
見た時その人は人間としていたたまれない気持ちになったそうです。
私はそれを聞いた瞬間は何かの間違いか、あるいはやはり親族を被災で
失うか何かして話題をそらせたいのだろうと邪推してしまいました。
それとも自国の社会に何か反感でも抱いているのだろうか?とも思いました。(日本に対し好感を持っているという理由でこちらに来る前に
不愉快な経験をした事があると言っていました)
反日感情がいまでも根強く残っていると聞かされましたが、私の接した
留学生達は皆友好的で気持よく人付き合いが出来る人達でした。
個人の単位ではかなり偏った考えを持っている人は居るでしょうが
そういった人はどこの国でも、どんな事柄でもごく少数はいるもので、
そういった一部の人達の傾向が社会全体をあらわすはずがありません。
しかしその人はそれが本当の姿だといって自分の事の様に恥じ入っていました。
(仮に本当だとしても悪いのは新聞社でその人が良心の呵責に苦しむ
事はないでしょうに)
しかし他の留学生達に聞いてもやはりそれを事実だと言うのです。
その留学生達が帰国して数年がたち、ようやくここにその事を
書き込む気持ちになれました。
あの震災が全く違った形で違った所で人の心を苦しめているのだと思うと今でもあの時の話は間違いであってほしいと思っています。
>佐藤さん、佐助さん
地震直後の昼過ぎまでは、避難所等への食料の配達が間に合わなかったこと、直後の動転と混乱のなかで気持ちのゆとりがなかったことで、ほとんどの人は何も食べていません。家が壊れなかった人が冷蔵庫などから食料を持ち出して近所の人たちと分け合ったという話はありますが、それは比較的被害の少なかったところの話です。
被災者は、学校などの避難所に避難しますが、そこで初めて食料を手にすることができました。といっても、その日の夕方におにぎりが半分もらえたというのは,ラッキーな方で、翌日になっても食料を手にすることができない人々がたくさんいました。震災後の一両日の間は、おにぎり、乾パン、パンが避難所では供給されました。ただ分量がすくなかったので、1つのパンをふたりで分け合うという状況でした。震災二日目ぐらいから、食料の応援がとどくようになり、またボランティアによる焚き出しが始まりました。コンビニも開店し、食べ物を購入できるようになりました。おでんや豚汁といった温かい食べ物が好評でした。震災直後の生活や避難所の生活については、被災者の手記がたくさん(たとえば阪神大震災を記録し続ける会の出版物などが)発行されていますので、それらを参照ください。また、神戸にできた「人と防災未来センター」でも詳しく紹介されていますので、参照ください。
>天山さん
1995
年1月17日5時46分に発生しました。早朝で、多くの人が自宅で就寝していたので、住宅の倒壊や住宅地の大火で多数の死者が発生しました。高速道路や大きなビルもたくさん倒壊しましたが、そこにはまだあまり人が来ていなかったので、人的被害は住宅よりも少ない結果となっています。
何食べたの。
地震が起きた時、何を食べたのか 。
何時に、地震が起きたのですか。
>原田さん
死者は6,432人でした。最初の地震の衝撃と火災などで約5,500人、震災に関連した病気(風邪や心臓病その他)などで約900人が命を失っています。
阪神淡路大震災の時に、犠牲者の数はどれくらいなんですか?
地震についてもっとくわしく調べてほしい。
>磯部さん
書き込みありがとうございました。普段からアピールが必要と思いつつ、なかなかできていませんが、努力したいと思います。
私は、あの時を忘れない
現在、愛知県在住の東灘区出身者です
幸いにして、私は地震の遭遇は免れましたが、多くの知り合いと、子供の頃遊んだ思い出の風景を失いました。
今更、ここへ書き込みをする気になったのは、東海地震に対する東海地方の住民の感心のなさ故です
子供が、昨日始業式を迎え、同時に防災意識の調査がクラスで実施されました。
その結果、教員を含めて非常持出し袋を用意してあり、家族がバラバラの時集合場所を決めていたのは、我が家だけでした。
ここでは、神戸の悲劇が風化し化石化しています。
今、この時点で発生してもおかしくない東海地震に備えて住民も、学校(すなわち行政も)まるで他人ごとのような気でいます。
この状況を打破しようとまず第一に家族で話し合いを持ちましたが、女房ですら、あくびをしながら嫌々というか 仕方なく参加している様子が明らかでした。
また市役所に問い合わせても件からの指導が無い以上特に何もしない
との電話解答。
6,000人以上の我が故郷の人間が死んでも300kmしか離れていない愛知でこの状況です。
これを根本から考え直させるために、これ以上犠牲者を出さないために、ここへ書き込みをさせてもらいました。
まず家族の集合場所の決定 第2に非常持出し袋の備えこれを全国へもっと・もっと強くアピールして欲しい。
家族・友人・親・兄弟・恋人・その他大切な人をある日突然失う辛さを、包み隠さず強烈にアピールして欲しい
まだ東海地方の人には時間が僅かながら残されているうちに
遺族の方で震災の記憶を忘れないようにするために本を出版されておられる方がいます。「恵子、さよならも言わずに 天国へ旅立った恵子ちゃん 村田延子編 阪神・淡路大震災を風化させないために」という本が創元社から3000円+税で出版されています。
下の本にも紹介されていますが、「語り継ぎたい。命の尊さ、阪神大震災ノート、住田功一、一橋出版、600円+税」があります。震災を学ぶ題材としてよく使われているようです。
<関連サイト>
http://home.kobe-u.com/top/newsnet/sinsai/book/book.html
<活用例>
http://homepage3.nifty.com/kng-seisho-hs/pupil/bousai.html
聞き語り調査について、数事例ですが、公刊されているものがあります。「大震災を語り継ぐ、神戸大学震災研究会編、神戸新聞総合出版センター発行、2300円+税」。
来る平成14年7月13日に、地元の中高生を対象とした勉強会を行う予定です。しかしながら、なかなか阪神・淡路大震災についての分かりやすい資料が見つかりません。 特に、震災犠牲者の方々の痛みや悲しみを、自分のことのように心に感じられるような資料があれば教えて下さい。 ビデオや体験談を集めたものが良いと思います。
また、8月2日~4日の日程で神戸、淡路島へ実際に研修で行く予定です。
>まる様
書きこみありがとうございます。返事が遅くなり大変申し訳ありませんでした。
ぜひお話を聞かせて頂きたいと思います。メールを送らさせて頂きましたので、詳細についてはそちらの方をご一読下さい。よろしくお願いします。
初めまして。まると申します。震災で祖母を亡くしました。ただ、祖母と同じ場所に住んでいなかったので間接的なことしか分かりません。そんな状態でもいいのでしょうか?
>内倉様
返事が遅くなり大変申し訳ありません。
残念ながら、私達は遺族の方の名簿は持っていません。私達も地道に紹介などで遺族の方を探しているのが現状です。
また、プライバシーの問題上、名簿のあるホームページ等はないと思われます。
今後もこの調査を暖かく見守っていただけたら幸いです。
阪神・淡路大震災にて亡くなられた方々の名簿はないのでしょうか?
東灘区深江町に住んでいて、震災後消息が解らないので。もし名簿のあるホームページ等がありましたなら、情報お願いします。
返事おそくなって申し訳ありません。現在も調査を続けております。また、調査にご協力していただける方を探していますのでよろしくお願いします。
このような活動が行われていることを知り、大変すばらしいことだと思うとともに、がんばって続けていってほしいと思います。
ところで、今も、活動は続けられているのでしょうか?
おしらせ
2001年2月18日現在
284名のいのちの記録を残すことができました。
6432名全員のいのちを記録するまで活動を続けていきたいと思っています。
>大江山中の方へ
なかなかよい点に目をつけましたね。
震災による直接被害の被害総額は兵庫県で約10兆円といわれています。そのうちもっとも大きいのは建築物の被害で約6兆円です。詳しい内訳は http://web.pref.hyogo.jp/hukkou/jyoukyou/jyoukyou14-4.pdf
を見てください。
しかしこれは直接被害にあったと推定される金額ですので、必ずしも地震被害全体を表していないといわれています。たとえば地震によって職場を失い収入がなくなったという被害や、仮設住宅に住むことで職場まで交通費が数倍になった、また地域の人が少なくなって売上が減ったなどという被害額は加わっていません(これらを間接被害といいます)。この間接被害をあわせた被害額は13兆円から20兆円といわれています。
>質問
震災の被害総額は、いくらだったのでしょうか?
阪神淡路大震災の被害総額は、いくらだったのでしょうか?
>震災遺族の方々をご紹介下さい
この聞き語り調査を開始して4年を迎えます。6千人の犠牲者の方々の記録をひとり残らずという「熱い」思いで取り組んだものの、私の努力不足もあってやっと300人の方の記録をとりまとめることができました。それらの記録は、この春に開設された「人と防災未来センター」の資料室に納められ、歴史的記録そして犠牲者への弔意の形として、永遠に保存されることになります。しかし、6千人のうちの300というのはあまりにも少なく、阪神大震災を語り継ぐには、極めて不十分です。
なんとかして千人そして2千人と諦めずに記録を残したいと考えています。そこで、もしご遺族の方を御存知でしたら、おしらせいただければ幸いです。今、最大の難関は、震災7年を経て、ご遺族の所在が私たちには、掴めない,ということです。切に、ご協力お願い致します。
>震災直後のトイレや風呂について
水洗トイレも風呂も水がなければ、どうしようもありません。震災直後に水を手に入れる手段は2つしかありません。1つは自治体の給水車による水の配達です。もう一つは川の水や井戸の水を汲んできて使うことです。
給水車の来る時間に被災者は、バケツやポリタンクをもって並んで受け取り、重い水を自宅まで運んでいます。受け取る水の量は少ないので、まず食事に使い、残った水を少しずつトイレに使いました。風呂は、ガスがきていなかったので、しばらくは我慢をするか、学校などの仮設の風呂ですますか、しばらくして開いた銭湯にいくか、遠くの親戚の家で風呂にいれてもらうか、非常に苦労しました。生まれた赤ちゃんを風呂にいれることもできないような状態もありました。
避難所では仮設便所がすぐし尿で一杯になり、し尿をすてることもできず、皆はトイレにいくのを差し控えました。その為に水を飲むのを我慢したりしたために、多くの人は体調を崩し大変でした。
トイレや風呂については、この4月に神戸でオープンした「人と防災未来センター」に詳しく資料の展示がされていますので、時間があればそこで研究してみてください。
学校で今調べてます。大変だったと思うけどがんばって下さい。☆
地震で水が無いときお風呂やトイレはどの様にしていたのか
大変だったと思います。これからも、がんばって!!
被害状況
Internetにて貴研究室のことを拝見させてし、書きさせて
頂きました。
当社は中国とカナダ合資したの最大の免震積層ゴムメーカ
ーでございます。生産しているの製品タイプは100mmから
1000mmまであります。製品は日本国土交通大臣に認証され
てあります。もしご興味が御座いましたら、何でもお気軽
にお問い合わせて下さいませ。
tel:0086-754-8562763
fax:0086-754-8562739
中国広東省和泰免震会社 営業部 謝敦敏 敬具
来年3月末イタリアから来日するフローレンスアンサンブルのメンバーからコンサートの申し出があります。どこかで演奏会を計画の方はもうしでてください。今まではホスピスコンサートでしたが今回は震災で犠牲になられた方にコンサートをプレゼントしたいとの事です。メインは福岡県久留米31日石橋文化ホールでのコンサート 他 掛川
>小塊様
ご紹介ありがとうございました。
とても充実したHPで、とても勉強になります。
まだ全部読み切ることができなかったのですが、またじっくりお邪魔したいと思います。
1995/01/20から30まで震災の救援活動に参加した際に撮影した画像集を、
やっと形にして公開いたしました。
似た試みをされているサイトを少し見かけましたが、同じではインパクトがないので、
大画像での表示も出来る代わりに表示が重い閲覧方法も付け加えました。
URLはこちらです
http://www.kiwi-us.com/~skyearth/Photo/Kobe-Photo/Kobe-Photo_Menu.html
画像集の元になったPhotoCD形式の画像の著作権フリー有料配布もこちらで説明していますが、
こちらでは、画像集を見ていただいて、当時の事を行かれた方には想い出していただいて、
行かれなかった方には、僕の見てきた光景を見ていただくことで、
当時の神戸市の絶句を越えた情景を語り伝えたいと想っています。
当時の救援レポートもありますので、是非ご来場下さい。
そして、災害時にも限らず、身近な危機介入にも関心を持っていただけたら、と思っています。
また、当HPでは心的外傷(「PTSD(DSM-IV)」も含む)についても突っ込んで論じています。参考になれば幸いです。
>やまさん
非常に大切な問題だと思いますが、私たちの調査会では、それに答えるだけの正確な情報を持ち合わせていません。被差別部落の問題については、「阪神・淡路大震災と被差別部落」解放出版社(兵庫部落解放研究所編)を参考にされるか、部落解放同盟にお聞きになられてみてはどうでしょうか? あるいは関西学院大学総合政策学部の安保則夫先生にお尋ねになられてみてはどうでしょうか? お役にたてず申し訳けありません。
質問なんですが、阪神大震災で「えた、ひにん」の子孫の人達が、差別を受けていたと聞いたのですが本当ですか?話によるとその人たちは、救助されるのを後回しにされたりとか、食べ物が支給されなかったりしたという話をききました。そのことを詳しく聞きたいです。なるべく早くしりたいんでお願いします。ちなみに私は、そういう差別をなくすために学校祭で呼びかけるつもりです。
何の根拠もないことを言う人が「有名人」とは困りものですね。
2001年3月に、コアメンバーの引継ぎを行いました。4月からの活動は、新しく大学院1年生になったメンバーが中心となって行っていきます。
これまで調査にご協力いただいた方々、昨年度いろいろな方面でお世話になった方々、本当にありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いいたします。
>hiro様
すみません、質問に答えていませんでした。
地震が発生したのはシアトルで現地28日午前10時55分で、マグニチュード6.8です。
また、シュアラインと言う地区のことは良く分からないのですが、シアトル市のHPで地震速報が出されていますので見てみてください。http://www.cityofseattle.net/
>hiro様
それは心配ですね。私もインターネット上での一般の情報しか分からないのですが、2月28日現在では負傷者は約200人、人的被害の報告はない、ということでした。
日本建築学会の災害委員会ホームページで、関連情報のリンク集を作成していますので見てみてください。http://www.disaster.archi.tohoku.ac.jp/Saigai/seattle/seattle.html
私は去年の夏にシアトルにホームステイしてました。夜のニュ―スで地震のことを聞き 大変ビックリしました。 ダウンタウンの一番高いビルでホストマザーは仕事をしています、向こうの何時ごろに地震は起きたのですか?それとシュアラインと言う地区は災害のほうは大丈夫ですか? 向こうにメールを送ったのですが心配でいてもたってもいられないので 分かる情報だけでいいので教えてください。
>石本様
ご協力ありがとうございます。詳しい内容はメールでお送りします。
また、なにかございましたら研究室の方へいつでもお電話ください。
078-803-6156
↑こちらに「聞き語り調査のことで、」とお電話いただけると対応できる学生がおります。
はじめまして。以前からこちらの事は存じておりましたが、なかなか決心がつきませんでした。が、7回忌を終え、記録にのこしたいと思うようになりました。私は震災で22歳の妹をなくしました。母と二人でお話したいと思います。どのようにしたらよいでしょうか?
苺様
書き込みありがとうございます。
私は地震が起きた時京都にいましたので、阪神大震災の恐怖を身をもって体験はしていません。でも、TVの映像や、次々と明らかになる被害の状況をみて「地震とはこんなに怖いものだったのか」と感じたのが正直なところです。
その年の4月から神戸大学に通うようになり、被災地を目の当たりに見たショックも大きかったのですが、被災された方にお話を聞いていくにつれ、どんどんそのときの状況が分かってきました。
それは、私が地震当時想像もつかないような状況でした。
少しでも多くの人に、当時の状況を知ってもらえたら、と思います。
これからもがんばっていきたいと思いますので暖かく見守っていただけると幸いです。
青空様
書き込み、ありがとうございます。HPの更新も怠っており本当に申し訳ないと思っております。近々更新されると思いますのでまたぜひおこしください。
調査を通じて現在いろいろな形でがんばってらっしゃる方と接する機会がありますが、みなさん震災を風化させてはいけないという思いは共通していると感じます。
また私達の調査にご協力いただいた方々も、みなさんそれぞれの形でがんばってらっしゃいます。被災された方みなさん、それぞれいろいろな思いや御事情をお持ちなのでしょうが、そういったお一人お一人の記録を後世にできるだけ伝えていけたら、と思っております。
今後もこの調査を暖かく見守っていただけたら幸いです。
>真野小学校5年2組様
書き込み、ありがとうございます。
阪神大震災以後、地震に対するそなえや防災計画は考え直されるようになりました。
兵庫県も平成8年に全面改訂をしたようです。
兵庫県の防災対策は、http://web.pref.hyogo.jp/syoubou/taisaku/index.html
に詳しく書いてあります。
国の防災対策については、国土交通省の防災コーナーのHPに詳しく書いてありますが、少し難しいかもしれません。http://www.moc.go.jp/disaster/index.html
↑の
建設省防災業務計画 が詳しい(詳しすぎる?)と思います。
210.172.195.87様
阪神淡路大震災では行政、市民団体がそれぞれ様々な活動をしていました。
神戸市、兵庫県などのHPでそれぞれ、復興までの様子が書いてありますので見てみてください。
神戸市 http://www.city.kobe.jp/cityoffice/15/020/quake/saiken/#japanese
兵庫県 http://web.pref.hyogo.jp/hukkou/index.htm
210.172.195.87様
阪神淡路大震災では
210.172.195.87様
書き込みありがとうございます。
地震が起きる仕組みは、文部科学省の地震調査研究推進本部のHPに詳しいことが書いてありましたので紹介します。http://www.jishin.go.jp/main/mech/eqmechfrm.htm
ちょっと難しいかもしれませんが、見てみてください。
地震が起きたとき、 皆さんは、どんな恐怖を、感じられましたか。
当時、私は、6歳で、何もできませんでしたが、いまは、少しは大きくなり応援することぐらいは、できるようになりました。
これからもがんばってください。
1年前の雑誌の記事を見て、HPを拝見しました。この時季になると、TV等でもいろいろな特集をしますが、今、生きて頑張っている方のことがほとんどに感じます。
プライバシーの問題、人員の確保等、様々な障害もおありなのでしょうね。
HPの更新もあまりされていないようですが、この作業は、地震に遭われた方だけでなく、後世のために、非常に大切な事だと思います。
どうか、頑張ってください。
何のお手伝いもできず申し訳なく思いますが、応援しております。
国や県は地震にそなえるためにどんなことしているのですか?
今日の希望の灯りの点灯と見守り、寒いですけどがんばって下さい。
修論しながらですが、応援しています。
僕らも行けたら行きます。本当にご苦労様。
地震がおきたとき国や県はどんなことをしてくれましたか?「阪神大震災」
地震が起きたときくにはどんなことをしてくれましたか?
どうしてじしんはおきるのですか?
>yamamoto様
書き込みありがとうございます。
もうすぐ震災から6年が経とうとしています。被災地の中でも、震災に対していろいろな考えを持ってらっしゃる方がいらっしゃると思います。
でも、私達は同じ悲劇を二度と繰り返してはいけないという思いを大切にして、私達にできることをがんばってやっていきたいと思います。
今後も調査会を暖かく見守っていただけると幸いです。
この欄をはじめてしりました。全員とかいてありましたので。いままで心に封印をしてきました。でも私達の愛した母のことを封印したままでは、あまりにもさびしすぎます。つらすぎます。世間では、いつまでも震災でもないといわれますが、だからずーと胸におさめて封印してきました。でもこれでは、前へすすめません。
******「希望の灯り」を神戸大学慰霊碑前で灯そう******
2001年1月16日、東遊園地で希望の灯りの分灯式があります。本調査会からも式に出席させていただき、その後神戸大学の慰霊碑の前で約24時間、「希望の灯り」を灯させていただきます。
当日の予定
1月16日(火) 14時 希望の灯り分灯式出席(東遊園地)
分灯後、神戸大学まで移動(徒歩)
16時頃 神戸大学六甲台 慰霊碑前到着
・希望の灯りを慰霊碑の前で灯す
17日(水) 5:46 黙祷
17時頃 終了予定
>北島様
書き込み、ありがとうございます。メールの方でお返事させていただきました。
よろしくお願いします。
(株)首都圏総合計画研究所
北島繁昭と申します(室研OBの吉田俊之の同期)。
当事務所のホームページで私が担当するコラム(12月中にUP予定)があり、その中で「震災犠牲者聞き取り調査会」について紹介したいと思っているのですが、詳細確認(内容・リンクの承認)はどのようにお願いするのがよいでしょうか。吉田氏に以前担当の方を聞いたのですが分からなくなってしまいました。お手数ですがよろしくお願いします。
始めまして、先ほど、このHPにたどりつけず、メールを送らせていただきました。私は、震災当日、山口県から実家のある西宮に帰っていて、双子の1人である息子を1歳半でなくしました。
今年の1月の命日に、息子の死が、たくさんのなかのひとりにうもれてしまっているきがして、一人の死として伝えたくてホームページを開設しました。
今回、「震災犠牲者聞き取り調査会」の事を知り、ぜひ参加させていただきたいと思います。よろしくお願いします。
室崎先生
2月21日、神戸大学三田君とmachikenで打ち合わせします。
神戸市や兵庫県に県外避難者名簿について問い合わせをしましたが、正確な全体情報はどこにもないようです。その中の遺族者名簿は、まったく手がかりがありません。
現在、神戸市と協議中で、行政ではなく、支援しているNPO団体から探る手だてを考えています。しかし、プライバシーの問題がありそうで、本調査の趣旨など理解を得ながら進めることになると思われます。
また、進捗状況をご報告します。
室崎研究室が毎月開催しておりますオープンゼミで、本調査のこれまでのまとめを発表させていただきます。
開催日は4月1日。勤労会館(神戸市三宮)のホールを借りて行なう予定です。
参加費は無料。参加資格など、ございません。ふるってご参加ください。
詳細については、3月上旬に下記ホームページに掲載します。
http://mur.arch.kobe-u.ac.jp/muropen/index.html
渡辺実さん、原田さん
メッセージありがとうございます。
遺族名簿が整理できていないため,東京方面の遺族リストがありません。そのため、すぐにお願いできる状況にはありませんが、東京方面の調査をなるべくはやく立ち上げたいと思いますので,よろしくご協力下さい。また,連絡致しますので、よろしく。
室崎先生へ
先日は、どうもありがとうございました。
私も、「震災犠牲者聞き取り調査会」に参加させていただけたらと思います。東京で活動されるときには、ご連絡ください。
室研卒業生 原田佳恵(マヌ都市建築研究所 03-3816-4032)
室崎先生へ
MBS-Rでは、ゆっくりお話もできずに失礼しました。放送批評の原稿も終わり2月5日発売になります。
さて、聞き取り調査はTVや潮で活動状況を把握させていただいております。前にもご相談させていただいた東京など首都圏にいる被災者の聞き取り調査をmachikenで担当させてください。machikenだけでは無理なので、仲間を募って「震災犠牲者聞き取り調査首都圏調査隊」をつくってみようと思います。首都圏の被災者情報はありますか?
これまでの調査結果の冊子などがありましたら送ってください。調査員の方々も、寒いのでくれぐれも風邪をひかないよう、頑張ってください。東京でできることがありましたら、何なりとご相談ください。
machiken 株式会社 まちづくり計画研究所 所長・技術士 渡辺 実 TEL
03-5273-2581 FAX 03-5273-2582 http://www.machiken.co.jp
早速のお返事ありがとう御座いました。
その日程で結構です。
時間その他につきましては、先生のご都合の良い様にして下さい。
また、ご連絡致します。
よろしくお願い致します。
ご意見どうもありがとうございます。
1月は多忙な時期で時間がとれないのですが
2月19日に洲本で講演の予定がありまして
午前中なら北淡町の方でお話しできると思います。
もしその日でよろしけば場所と時間をご連絡下さい。
始めまして、2年前淡路・北淡町の調査で色々とお話致した事を、立派な冊子にまとめて頂き有り難う御座いました。
少しでもお役ね立てれば幸いと思い私の記憶する範囲でお話した事を、こうゆう形でまとめていただき後世への記録として残して下さっている皆さんの努力には、頭の下がる思いです。
これからも頑張って下さい。
私事でもしわけ御座いませんが、室崎教授にお願いが有ります。
先日のTVでお話されていた中で、商店街の復興が遅れていると言う事ですが。北淡町富島では現在都市計画の遅れで仮設店舗からの再建が図れない状態です。
1日でも早い再建めざし関係各所に申し入れをしていますが一向に進みません。
時間の許される範囲でかまいませんので先生のお話を聞かせていただきたいのです。
よろしくお願い致します。
頑張ってください。
神戸大学の卒業生です。ニュースジャパンの特集を拝見いたしました。犠牲者の方全員の記録を残すということには、さまざまな障害があるでしょうが、1人でも多くの方の記録を集め、いつ起こるとも分からない震災に対する貴重な資料として、編纂されることを願っております。これからも、地道な調査活動が続くことと思いますが、みなさん、がんばってください。卒業生の1人として、陰ながら応援しております。
励ましのお言葉ありがとうございます。テレビを通じ、この調査について共感してくださる方がいるとわかり我々調査員にとって大変な励みになりました。我々の調査会では、犠牲者の方全員の記録を残すことを目標に調査活動を継続してまいりますので今後ともご意見・ご感想などいただけますと幸いです。
by 調査員一同 at 2000年 948086291
今日、明け方テレビをつけてひたすらレポートに取り組んでいたわたしは神戸大学さんが行う震災犠牲者聞き語り調査会をしていらしゃる姿を手を止めて拝見しました。私の周りでは誰か亡くなったというわけではありませんが、同じ震災を体験した者として、後世にこの悲惨な出来事は伝えていかなければならないと強く感じましたこちらの研究室とは直接関係のない方かもしれませんが、鷹取地区を二人で歩いて周られる姿に大変感動しました。この悲しみ、悲劇を後世に伝えるためには誰かがしないといけない事とは分かっているのですが、実際の話、この恐怖というものは体験してみないと解らない者です。自分の中でもう震災の事など忘れきっていると思っていても、ほんのすこしの揺れがとてつもない不安へと追いこんで行くのです。自分で聞き語りの調査をして資料を残すなどという行動力もなく、ただただ、時間の流れに身をまかせて心のいえるのをまっている私が、とても恥ずかしく思います。<BR>きっと調査をしている時は相手をしてくれない人もいると思いますですがこれからもくじけず頑張ってください。 かしこ
by ふゆみ at 2000年 948072288
調査に関するご意見・ご質問等ありましたらご自由にお書きください。
by 管理者 at 2000年 947254514